カテゴリー ‘空手’ のアーカイブ
徒然なるままに

10代半ばの頃の関心

私が『空手バカ一代』という劇画に夢中になったのは中学2年くらいのことだったと思う。書店で立ち読みしていて熱中し、何冊か買ってきて読んでいたら、若いときに剛柔流空手をたしなんだ父親がつられて読み出し、「面白いから全巻買ってこい」とのお達しが ...

沖縄初の金メダル、喜友名諒選手に乾杯

東京オリンピックで初めて正式競技として認められた空手競技で初の金メダリストが誕生した。男子形部門で昨晩、優勝を手にした喜友名諒選手である。本日付の一般紙朝刊では1面、スポーツ面、社会面と喜友名選手に関する3つの記事を掲載した新聞が多かった ...

課題を残した日本柔道

本日付の日経は社会面で日本武道館の歴史について記事にしている。1964年の東京五輪の1カ月前に完成したという武道館は、そのオリンピックで初めて正式競技として認められた日本発祥の武道・柔道の競技が行われた場所だった。全4階級の制覇を宿命づけ ...

変化の激しい空手史研究

昨年9月、沖縄空手に関する書物を発刊させていただいた。その時点での真実と思われる内容をもとに記述しているが、最近の空手史研究においては、通説を覆すさまざまな発見が生まれている。その一つが「日本最初の空手流派は剛柔流」という通説だ。確かに今 ...

型の変容過程 沖縄から日本本土へ(下)

日本本土でピンアン型を行う空手流派は多いが、極真空手で行っているピンアンは、船越義珍の流派で一度改変が行われ、もう一度自派で改変しているので複数回の変遷を経ている。その結果、正拳突きが鉄槌に、腕受け(内受け)+前蹴りの動作が裏拳+横蹴りに ...

型の変容過程 沖縄から日本本土へ(上)

20世紀初頭、糸洲安恒は首里手の代表的な型、パッサイ・クーサンクー・チントウの動作の中から目つぶしなどの危険なものを省き、その要所をつなぎあわせてピンアンを創案した。目的は中学生レベルの初歩的な型を必要としたからである。沖縄県の中学生を対 ...