私が沖縄空手の取材を始めたのはちょうど5年前の秋のことだった。もともと沖縄では琉球舞踊などが独自文化として有名だった半面、空手は当地においてすら独自の文化遺産との認識は近年まで薄かったようだ。その証拠に戦後の書物などを見ても、独自文化の象徴として、空手が舞踊や組踊などと並ぶのは近年のことだ。もともと琉球の人たちは体が小さく、小さい者が大きい者に負けないためにはどうすればいいかとの欲求が生まれた。その研究のための琉球の立地は適していた。歴史的に中国武術と日本武術を同時に吸収できる地理的条件を満たしていたからだ。そこで発達したのが現在につながる空手である。本来の空手の術理は力のみを用いるものではなく、別の術理が存在した。当然のことながら、力と力がぶつかり合うだけの世界では、より大きな力の者が勝つことは必然だ。この場合の力とは、筋力とでも考えていただければよい。だが小さい沖縄人には力に頼らない術理こそが求められた。それが武術の精髄となる。その内容を言葉で説明するのは難しいが、そんな琉球人にとって自ら培った術理は伝家の宝刀であって、戦わずして勝つことこそが最良の兵法だった。ソフトパワーを駆使し、智慧を最大限に発揮する。これは現在の国際社会における国家間の関係にもそのまま当てはまる。武力に武力だけで対抗しようとするのは愚の骨頂であり、それでは力の強い方(大国)が勝つに決まっている。ならばどうするか。究極的には相手をこちらの思想で感化していくしかない。過去から現在まで、沖縄には学ぶべきヒントがたくさん詰まっているように見える。