日本が誇るべき法華経と空手

創価学会の池田名誉会長の死去をめぐり多くのメディアが回想録や論評を掲載している。主に新聞、週刊誌でそれらを目にしてきたが、相変わらず皮相的などうしようもない論評もめだつ。自分できちんと取材を行わず、いい加減なことを言っている最先鋒は、私の見た範囲では、溝口敦という名のジャーナリストだ。池田名誉会長の功績はさまざま論じることができるが、本質的な意味では法華経を信奉する団体である創価学会の宗教を、世界宗教化した点にある。このことを最も早く言い出した外部識者は、私の知る限り、元外務省主任分析官の佐藤優氏である。これはけっして創価学会を事実に反して持ち上げるような行為ではなく、実際に世界の現実の姿を説明したものにすぎない。現実を見たくない人たちが自分の目をふさぐのは自由だが、仏教の最高峰たる法華経を、日本国内のみならず、世界に広げ、また事実の上でかなりの国に定着させる筋道をつけたのは池田SGI(創価学会インタナショナル)会長にほかならない。法華経流布がそのまま「世界平和」に直結するというのが創価学会の考え方であり、急がば回れという方法でもある。池田名誉会長の人生における価値は、この事実が広く認識されるようになればなるほど、より一層はっきしてくるはずだ。先代の戸田会長はそれまでに「200年かかる」といったようなことを言い残している。

話は変わるが、沖縄が生んだ空手もすでに世界に広まり、いまや公称1億2000万人の愛好家がいるとされている。これはいわゆる「公称」であって、実際に空手を行う人は数千万人とみられる(上記はその家族などを入れた数字と見られている)。だが日本発の文化で、これほどまでに世界に認知され、広まった文化がほかにあっただろうか。沖縄の「空手に先手なし」の平和思想に基づく武術という精神部分も、海外に受入れられた要因の一つと思えてならない。これは個人的な感想にすぎないが、日本におけるこの2つの文化は、まぎれもなく普遍性をもつ「資産」であり、日本が誇るべき「遺産」だ。

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