近世から近代にかけて沖縄で定着した空手(唐手)は、自分の身を守るための護身術として発達した。それはまさに相手の急所を一撃するための殺人拳でもあった。現在の空手は試合を導入したことにより、必然的にスポーツに転化しているため、元の形をそのまま残しているわけではない。
本来の護身術の空手はむやみやたらに振りまわさない。いや、自身が武術を行っている事実さえも秘匿したという。そのため稽古は闇にまぎれてだれにも見られないような形で隠密裏に行われたとされる。物静かな夜の墓場で、家の中の小部屋に隠れてなどだ。明治期に入ってそのような風習は多少薄れた面があったかと思われるが、武人同士はだれが稽古しているかを互いに知っているので、表で出会ったときに「掛け試し」と称する“手合わせ”を行う風習があった。
沖縄には「空手に先手なし」という言葉が残っているが、これは自らむやみやたらに武をひけらかさないという意味とともに、面倒なことは避けて通る、つまり避けられる衝突なら自ら積極的には関わらない、もっといえば「負けるが勝ち」に似た発想があったと思われる。要するに表面上の勝ち負けにこだわっていない。実を取るほうが大事という考え方である。そのため自ら武を用いることを戒めた言葉とも受け取れる。それでもいざ何かをふっかけられて立ち会う必要が生じた場合は、その場合は武術的な「後の先」をとる。立ち会った場合にのみ、武術の中で先手をとって、相手を制圧する必要があったと思われる。このことは言葉で説明するのは難しいのでこれ以上は立ち入らない。
沖縄由来の空手思想は、そのまま戦後日本の「専守防衛」の発想と酷似する。さらにいえば、核兵器の先制不使用の概念とも共通する。先に使わないと自らを戒める姿勢。それが現代社会にも通用する概念であることははなはだ興味深い。
私は2021年秋に上梓したノンフィクション作品『空手は沖縄の魂なり 長嶺将真伝』の「はじめに」の部分で そうした意味のことを書かせていただいた。核兵器を先に使用しないという決意を核保有国は共通認識とし、そこから核廃絶への道を話し合ったらどうか。