ジャーナリストは取材した事実に立脚して記事を書く。大事なことは真実であるかどうかの識別能力が高いか低いかであって、職業人としての価値はそれ以上でも以下でもない。人間である以上、時間的制約や勘違いなどが原因で、誤報を発信することはありえる。その場合、報道や言論に携わる者の行動としては、訂正&謝罪を行うことは当然だ。なぜなら職業人としての生命線が「事実」(ファクト)に依存する職業にほかならないからだ。だが現代日本社会では、その基本的原則が、一部で打ち壊されて等しい。特に右派界隈においてその傾向が顕著だ。例えば南京事件がなかったと主張する櫻井よしこは、事実よりもイデオロギー(日本は悪くないとの思い込み)を優先する人物として知られる。それと同様、門田隆将こと門脇護も、事実よりもイデオロギーを優先する作家として知られる。一つの特性は自ら取材しないで虚言を垂れ流しても平気でいられる「感性」だろう。もっとも「週刊新潮」時代に捏造手記をでっち上げた経歴があり、編集部に居られなくなった人間として有名だ。事実よりもイデオロギー。靖國信奉者の言論人にはこうした手合いが多く見受けられる。この構造の認識が広く日本社会で一般化される時、日本は国際社会への真の意味での仲間入りができる条件が揃うものと考えている。
