カテゴリー ‘日本共産党’ のアーカイブ
徒然なるままに

日本共産党にゴルバチョフはいない

1985年3月、ゴルバチョフ新書記長の大きな顔写真が朝日新聞に載った日の紙面をいまも覚えている。その記憶に特に理由があったわけではないが、その後のソ連共産党における改革路線はこの人の開明的な見識がなければ起きなかった。共産主義の悪弊を反転 ...

共産党の終わりの始まり

私が日本共産党の取材を始めたのは政党機関紙記者から独立した97年以降のことだった。「別冊宝島」という媒体の特集がきっかけで、その後も断続的に取材を続けた経緯がある。20年ほど前の時代であり、同党が2度目の躍進期(97~2000年ごろ)を迎 ...

ひとに優しくない政治

30年前の6月、首相に就任した村山富市は「ひとに優しい政治」を打ち出した。政治の根幹ともいえるこの言葉は、当時はかなり抽象的なものとして受け取られた記憶がある。政治が国民や市民(外国籍住民を含む)の利益を第1にすることはいうまでもなく、政 ...

組織原理を同じくする2つの共産党

「民主集中制」はコミンテルン(国際共産党)が世界制覇をめざした際、各国に結成された共産党に求めた組織原則として知られる。いまもこの原則を党の中核に据えている共産党に、日本共産党と中国共産党がある。この2つの政党は日本が1922年、中国が1 ...

自ら墓穴を掘り続ける志位執行部

日本で101年も続いている老舗政党の、建て前と本音の使い分けの乖離度がマックスに達している感がある。一つは昨年2月から3月にかけて行われた党員2人の除名問題だ。党の発展がこのままでは難しいと考えた党員が「党首公選制」などを訴えた書籍だった ...

コミンテルン政党の後始末

独裁主義が強まれば組織・団体は衰退に向かう。古今東西の普遍的原理の一つだ。その最たる例は現在の中華人民共和国だろう。経済通の首相を権力基盤から追い出し、独裁制を強めたはいいものの、経済オンチの最高幹部のもとで外国資本が次々と逃げ出し、鄧小 ...