目的と手段が混同される国民的影響

ジャーナリストの仕事の本質は知らせるべきことを広く知らせる使命にある。キリスト教の信者はキリスト教を悪く書くことには一瞬ためらいを持つだろう。私のジャーナリストとしての感覚では、創価学会の公明党支援の最大の問題点は以下にあると考えている。それは、教団の政治との関わりが短期的視点に陥りがちなことだ。これは教団の歴史性と社会的要求から起きているように感じる。選挙で勝利することがそのまま教団の威信を世に示すことにつながるという発想があるためか、選挙の勝敗は担当する教団幹部(主に方面)の勤務評定に直結する。そのため何のために政治支援するかという「大目的」が後方に下がりがちとなり、目先の選挙勝利という「手段」が優先される結果につながりやすい。要するに手段と目的の混同、転倒の問題にほかならない。私は大目的を追求した支援体勢がなされていれば、どの分野にも満遍なくエキスパートが国会議員に配置されていたと思うし、国の最重要問題の一つである少子化問題も、公明党が23年間も政権運営に携わった以上、すでに解決に向かっていた可能性が高いと感じている。大きな戦略の欠如が、この事態(政治支援の非効率性)をもたらしたように見受けられる。これは一政党の内部問題というより、国民全体に影響を及ぼしている問題だ。

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