数の力

数の力をだれよりも身に染みて感じ、それを活用した政治家は近年では安倍晋三の右に出る者はいないと思う。その原体験はやはり初めての戦後世代の総理大臣として期待されながらも無様な退任を余儀なくされた第1次政権の経験にある。このときの参院選挙は“年金未納選挙”の様相を呈し、政治家の中で年金を過去にきちんと支払っていない期間があることが明らかになった議員は世論から徹底糾弾されるという異常な雰囲気の中で行われた。この選挙で大敗北した自民党は、参議院で過半数を失い、国会はねじれる。敗北しながら政権運営を継続しようとした安倍は、持病に倒れる。この時点で、保守(実際は極右)から総スカンを食らった安倍は、二度と浮上することができない「過去の政治家」として見られつづけた。その安倍がひょんなことから第2次安倍政権を確立し、長期政権を担ったのは、最初の「失敗体験」があったがゆえである。「政治は数なり」を小沢一郎並みに身に染みて叩きこまれた安倍は、投票マシンとしての公明党創価学会に気をつかい、さらにこれまで忌避していた統一教会にまで支援を頼んだ。選挙で「勝てば官軍」の精神が貫かれたのが第2次安倍政権の特徴だったといえる。その結果、政治スパンは中長期を展望するものではなく、目先の選挙を勝利する短期スパンで徹底された。その弊害はいまも色濃く残る。安倍政権が脱原発にかじを切らなかった責任は、文明論的次元で大きな罪として歴史に記録されることになるはずだ。公明党はこのとき、大した物言いはできない立場にあった。第2次政権のポピュリズムの風に乗って、生活保護者叩きが行われたが、公明党は弱者を守るためには行動しなかった。保身を優先したからだ。そのときの政策が、最高裁で違憲と判断されても、石破自公政権はその後始末をスピードをもって行おうとはしなかった。「負けを認めない」戦後の日本政府の体質とも通底する。この問題処理は、次の高市政権に引き継がれたが、もともと生活保護者をバッシングした張本人が高市早苗と片山さつきだった。その主謀者がいまは首相と財務大臣の椅子に座っているので、最高裁判決が ますます 軽視される事態となっている。その意味で、日本に「三権分立」が根づいていない実態は明らかだ。ここに“政府崩壊”のアメリカを笑っていられない日本の現状がある。公明党は弱者の側に立つという立党精神を、第2次安倍政権のスタート時点において発揮することができなかった。その余燼はいまもくすぶっている。

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