日本共産党にゴルバチョフはいない

1985年3月、ゴルバチョフ新書記長の大きな顔写真が朝日新聞に載った日の紙面をいまも覚えている。その記憶に特に理由があったわけではないが、その後のソ連共産党における改革路線はこの人の開明的な見識がなければ起きなかった。共産主義の悪弊を反転させようと懸命に努力したことは評価できる。実際、ゴルバチョフの祖父もスターリン時代の粛清で理不尽な殺され方をしていた。その実体験から発した姿勢だっただけに、地に足がついた試みだった。一方、ソ連共産党の「子ども」として生まれた日本共産党は、いまではスターリン時代に逆戻りするかのような頑なな閉じた姿勢を鮮明にする。異論を述べる者を上から力づくで押さえつけようとする姿は、暴力装置を含む権力を握っていないからいいものの、それをもっていたら必ず有形的な暴力行為を伴うことが間違いないと思える振る舞いを続けている。現状の日本共産党には、スターリン型への回帰を鮮明にする志位和夫議長と、その子分である田村委員長らがいるだけで、そこにゴルバチョフのような存在は見当たらない。むしろゴルバチョフの魂は、志位執行部が弾圧を向ける対象の側にこそ存在するように見える。昨年2月の松竹氏除名騒動から始まった同党の足元からの混乱ぶりは日を追うごとに拡大中だ。ソ連崩壊が突然起きたあの日のように、同党の崩壊も突然あるのかもしれないと感じるのは私だけだろうか。

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