カテゴリー ‘訃報’ のアーカイブ
徒然なるままに

ライバル企業を洗え

仕事上さまざまな人の影響を受けてきたが、まだ20代の当初に文章の書き方から人生万般まで指導を受けたのは西日本新聞社出身で大宅壮一門下として活躍した大隈秀夫先生(1922-)である。その教えの一つに、Aという会社や団体を取材しようと思ったら ...

2000年大阪府知事選の共産党候補者が死去

しんぶん赤旗に2日前に載っていた訃報記事だが、関西大学名誉教授の鰺坂真(あじさか・まこと)という人物が亡くなっていた。特に面識があったわけでもないが、2000年の大阪府知事選挙に立候補した人物として記憶に残っている。日本共産党は1998年 ...

大隈重信死去から100年

大隈重信が亡くなって100年後の朝である。この人がいなければ私は東京に出てきていなかったかと思うと、やや感慨深い。1週間後の1月17日、日比谷公園で大隈の国民葬が行われたが、同じ年の同じその日に佐賀県で生まれたのが私の文章の恩師である。同 ...

「知の巨人」が逝った年

年末ということもあってたまっていた新聞を処理した。1年のうち特に出張期間に読んでいなかった新聞の山が部屋の数カ所に埋もれていた。本日処理した新聞群の中に、立花隆氏が死去した6月のニュースの束があった。亡くなったのは4月30日だったというが ...

元東村山市議・矢野穂積が死去

1995年の東村山女性市議転落死事件の際、教団謀殺説を唱えた東村山市議・矢野穂積が死去した。享年74。本日18時より20時まで、東村山駅近くの長坂葬祭式典センターで通夜が執り行われる。

古谷博と小川頼宣が相次いで死去

元教団職員の肩書を利用して教団批判を重ねていた日蓮正宗信徒がことしになって相次いで他界している。妙観講の代表をつとめる大草一男が主導する日蓮正宗系機関紙「慧妙」などによると、小川頼宣がことし9月に死亡。さらにことし3月にはその相棒であった ...