大隈重信死去から100年

大隈重信が亡くなって100年後の朝である。この人がいなければ私は東京に出てきていなかったかと思うと、やや感慨深い。1週間後の1月17日、日比谷公園で大隈の国民葬が行われたが、同じ年の同じその日に佐賀県で生まれたのが私の文章の恩師である。同じ大隈姓ながら、重信家とは別の分家で、むしろ重信一族に対抗意識があって、恩師の大隈家からは早稲田大学卒業者は一人もいないと言っていた。昨年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では、大隈重信像がかなり一変することになった。本日付の日経新聞コラムは2022年の本年は明治維新からちょうど154年であり、昭和の敗戦から77年目にあたることを伝えている。つまり昭和の敗戦を基準とすると、その前の明治維新以来の近代化の歳月と、焦土と化した昭和敗戦以降の年月とが、ちょうど同じになったことを意味する。昭和敗戦後の「もう戦争はこりごり」という当時の圧倒的世論ともいえる大衆感情と、「二度と戦争をしない」と誓った昭和憲法のもと、日本はこれまで77年間、戦争をしないで済んだ。しかし、現状は趣がだいぶん変わってきた。戦争を知る世代がいなくなりつつあることが重要な要素だ。脚色され、デフォルメされたいい加減な歴史ではなく、正当な歴史を学ぶことが、いまほど重要な時はない。

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