2000年大阪府知事選の共産党候補者が死去

しんぶん赤旗に2日前に載っていた訃報記事だが、関西大学名誉教授の鰺坂真(あじさか・まこと)という人物が亡くなっていた。特に面識があったわけでもないが、2000年の大阪府知事選挙に立候補した人物として記憶に残っている。日本共産党は1998年に国政選挙としては最高票となる全国比例819万票を叩きだした。地方区得票の合計はなんと875万票にのぼった。その背景には、94年村山政権による安保容認、96年の社会党の党名変更に伴う「社会党」の消滅など、行き場を失った旧来の社会党支持票(いわゆる革新票)を同党が吸収したことによる。その結果、共産党は97年の都議会選挙で躍進、98年の参院選挙でも大躍進を果たし、一時的な形の絶頂期を迎えた。99年に自自公政権が誕生、公明党が初めて与党入りした政権と、共産党は対峙することになる。2000年は同党の勢いがまだ明確に残っていた時代で、同年2月に行われた大阪府知事選挙と京都市長選がその命運を占ういわば「決戦場」となった。戦国時代でいえば、「関ケ原」のような意味合いをもっていた。そのときの大阪府知事選における共産党推薦の候補者がこの人物だった。私も雑誌か何かの取材で、大阪のどこか大きな駅前であったと思うが、当時の不破哲三委員長の応援演説をじかに聞いた記憶がある。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。