「週刊文春」を日本一の週刊誌部数に拡大した過去の栄光をもつ花田紀凱氏は編集者を天職となし、いまも編集業にいそしむ。文藝春秋を退社するきっかけとなったのは「アウシュビッツにガス室はなかった」とする雑誌記事が国際的な問題となったことが原因だが、ことし1月、夕刊フジ休刊間際の連載で同氏は次のように振り返っていた。
「後で考えれば、『ガス室への疑問』ぐらいのタイトルにしておけばよかったのだ。『なかった』と断定的なタイトルをつけたのは、ぼくの大きなミスだった」
印象に残るのは、「ぼくの大きなミスだった」と過去の自らの行動を冷静に位置づけ、間違いを認めていることだ。この点は同じ週刊誌業界で長年仕事をしながら、絶対に過ちを認めない、謝罪しない、自分だけがいつも正しいとのいわゆる“門脇3原則”を堅持する門田隆将との大きな違いだろう。
門田隆将こと門脇護は1996年2月、創価学会の元北海道女性幹部が池田名誉会長から暴行された趣旨の手記を掲載した「週刊新潮」記事の担当デスクだった。だが実際はこの女性の主張の「裏づけ」を何もとっておらず、事実的根拠のないまま政治的な意図に乗せられて記事化したものにすぎなかった。そのことは裁判においても明確に確定している。この意図的な誤報事件がきっかけで、門脇護は「捏造記者」の“蔑称”を不動のものとし、その後、同誌編集長への階段も断たれた。道半ばにして独立して作家になる道しかなかった。だがその後、花田氏と異なり、門田が「自分の大きなミスだった」と振り返ったことは一度もない。過去の過ちからどこまでも逃げ続け、日本人の生き方としては潔さを欠く精神的にも最低ランクの余生をこんごも送るのだろうか。