カテゴリー ‘個人史’ のアーカイブ
徒然なるままに

父親の背中に学ぶ

私の故郷である佐賀県鳥栖市は国鉄の分岐点ということもあって、国労が強く、必然的に社会党の強い地盤として知られていた。私の両親は専売公社鳥栖工場に勤務する公社員であり、父親は労働組合(社会党系)の専従を務めていた。一般の勤務員と異なり、手当 ...

フリーランスの壁

私どもが大学を卒業する1980年代後半の頃はまだバブルの真っ盛りで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などともてはやされる時代だった。経済は上がり調子で世の中は活気があり、このままこの状態が今後もつづいていくと多くの人間が“錯覚”した時代でも ...

妙法のジャーナリスト

創価学会員はよく「妙法の~」という言い方をする。かつてはよく聞いた気がする。~はその人の職業が入ることが多い。ラーメン屋、八百屋、何でもよい。法華経という信仰をしていることの内的変化が、職業の姿勢にも一定の差異を生み出すということを意味す ...

阪神淡路大震災から30年

過去にも同じことを書いてきた気がするが、私と文章の師・大隈秀夫は43年の時空をへて同じ日に生まれ、同じ県で育った因果がある。先生は1922年生まれ、私は1965年だ。出会ったころは1990年代の初頭で湾岸戦争が始まったのが1月17日だった ...

第2の人生を模索する年代

60歳も近くなると「定年」の話題が多くなる。多くの企業や役所でこの年齢が定年とされているからだ。聞くところによると一部新聞社などでは定年がもっと長い社もあるようだ。いずれにせよ5年程度の延長勤務(給料は半減)するにしてもこの年齢くらいから ...

断片的な記憶

人間60歳という一区切りの年齢に近づくと、それまで思いもしなかった脳内記憶が突然飛び出してくる感覚がある。今朝もそのような感覚があったのだが、それは中学1年生が終わる2月はじめ、初めて新聞配達をしたときの光景だった。その日は当時住んでいた ...