カテゴリー ‘個人史’ のアーカイブ
徒然なるままに

左右のバランス

2年ほど前から原則、飲酒を止めている。私の場合は糖尿病とかそういう系統ではなく、遺伝的なアルツハイマーをできるだけ防止するためだ。あるとき、首相の名前が出てこなかったので、これはだめだと思ったことがある。「岸田文雄」の、姓も、名も出ないと ...

長嶋茂雄の思い出

最近仕事に没頭しているとこのコラムを書き忘れることがある。齢だ、と思うことにしたい。私の名前は長嶋茂雄から取ったと親に聞かされたことがあった。ただし画数がそのままではうまくなかったので一字だけ変えたのだとも言っていた。ともあれ私個人はあま ...

外国人と人権

私がフリーランスとして独立したのは1997年、32歳の年だった。先日、物書きには最低でも3本の専門取材分野が必要と書いたが、当時の3本のうちの重要な1本は「外国人問題」だった。これは社会新報時代からの流れで、その知見はそのころ公明党の冬柴 ...

立正安国と人道立国

母親が作成した私の幼少期のアルバムが遺されていた。実家で懐かしいそのアルバムを発見して東京に持ち帰り、開いてみたのは先日のことだ。その中で福岡東公園の日蓮像の前で親に抱かれた生後間もないころの写真を見つけて驚いた。そこには「日蓮上人の前で ...

物書きの専門分野

フリーライターは最低3つの専門分野をもっていないと食っていけないとはしばしば業界内で指摘されることだ。もっとも時期によって追いかけるテーマも変わってくるという面はあるが、現在の自分に当てはめると、「日本共産党」「沖縄空手」「右派の動向」と ...

時代に規定される

物書きとして「評伝」を書いたことのある人とそうでない人の差は大きいと感じることがある。一度でもだれかの一生を書けば、その人物の生まれから死ぬまでを追いかけることになる。人物の裏にはその人物が生きた時代的背景というものが存在する。一人の人物 ...