最近仕事に没頭しているとこのコラムを書き忘れることがある。齢だ、と思うことにしたい。私の名前は長嶋茂雄から取ったと親に聞かされたことがあった。ただし画数がそのままではうまくなかったので一字だけ変えたのだとも言っていた。ともあれ私個人はあまり野球に関心がない大人である。そのため名前の元となった方が亡くなったと聞いた時もさして大きな感慨が起きなかったのだが、先日、同氏の若いころの練習方法をある番組で見て、関心を持った。バットを握って素振りをする際、部屋を真っ暗にして、スイングが発する音だけを聞いて好調・不調を聞き分けるという独特の練習方法についてである。これは武術に通じる稽古法とも思えたので強い関心を抱いたというわけだった。沖縄発祥の本来の空手は集団稽古ではなく一人稽古が主流で、その意味で長嶋氏の一人稽古と共通するものがある。さらにこの「孤独」に耐えられるかどうかがポイントというようなことを番組内で長嶋氏は話していた。空手の世界でも、派手な組手稽古をつづけて強くなるという発想は本来の空手には存在しない。なぜなら再現性がないからだ。そのためあくまで自身という内面と向き合う稽古でなければ向上しないという考え方がある。一流の人物はやはり競技を超えて共通するものがあると一人腑に落ちた。