「差別」としての靖國

昨日の高市早苗氏の出馬会見の一部をオンラインで聞いたが、首相になっても靖國参拝を続けたい意向を語ったことは想定どおりだ。そもそも靖國神社に祭られている英霊なるものが、戦争で亡くなった「すべての人たち」が対象ではなく、徴兵されて戦地で戦った兵士らに限られることに大きな「作為性」がある。同神社が「戦争神社」と揶揄されるゆえんだろう。靖国敷地内の“戦争肯定ミュージアム”として知られる「遊就館」にいくと、その前庭に「軍馬」「軍犬」「軍鳩」を慰霊する像が建っている。だがこの神社には当然ながら兵士以外の、例えば兵士らの戦闘遂行のために慰安する目的で性労働をさせられた女性たちの像はそこにはない。おそらくそれらの女性たちの存在がなければ、戦争遂行は不可能だったはずで、同神社が戦争遂行に貢献した人間を「平等に」弔っていないことの象徴だ。要するに同神社は日本人全体から見た場合、「差別神社」であり「選別神社」にほかならない。首相になってもそのような神社に参拝すると言っている政治家の内面は、歴史の真実にあえて目をつぶっているか、まったく無知であるかのどちらかだろうが、私は高市早苗氏は後者であると考えている。

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