昔、池田名誉会長がよく語っていた言葉に上記がある。主に権力者は民衆が賢くなるのを嫌い、愚かなままにしておきたいとの心理が働くことを語ったもので、本当の民衆リーダーは、大衆を「賢くする」ことにエネルギーを費やすとの趣旨だった。現在の参議院選挙の様相を見ていると、「賢さ」を持たない大衆に外国人ヘイトを吹き込み、各政党はいかに自分たちが外国人政策を厳しくやってきたかという選挙向けのポーズを示すのに必死で、その様子は見ているだけで見苦しい。私からすると、8年近い第2次安倍政権のあおりが、そのまま現在に跳ね返っているようにしか思えない。安倍政権はいうまでもなく、政権を維持するためには「ウソ」が平気で、情報公開でも文書を隠すことが横行し、ノリ弁が当たり前の政権だった。大衆をいかに騙し、いいように自分たちの地位を守れるかという発想そのものを中心とした政権であり、「大衆を賢くしよう」などという発想は、微塵も感じられなかった。一方、そもそも選挙というものは、大衆学習の最大の機会でもあり、大衆に真実を訥々と伝え、世の中の仕組み、政治の実態を学んでもらうには絶好の機会とも思える。選挙の場で外国人ヘイトの「世論」におもねるのではなく、自分たちの党の「将来ビジョン」をきちんと話し、説明し、語り合う。そうした大衆を「耕す」行為が増えれば増えるほど、大衆は賢くなり、民主主義の質は高まるというものだ。民衆が愚かなままでいれば、パフォーマンス政治がはびこり、アメリカのような例が日本でも生じてしまいかねない。もともと創価学会は上記のような指導理念のもと、大衆を賢くする機能を志したはずだが、現在の政治支援の在り方を含め、最高首脳からその「意志」を感じ取ることはできない。選挙後に、抜本的な転換が必要と感じる。