もう30年以上も前の話になるが、私が社会新報に在籍した3年間で、外国人関連の記事を書くとき、「不法外国人」や「不法滞在」という言葉は使わないように注意してきた。ではどう書くかというと「超過滞在者」や「オーバーステイ外国人」である。なぜ「不法」や「違法」を使わないかというと、その名称を使うことで外国人に必然的にレッテル貼りがなされ、その存在が危うくなるという人権的配慮からだ。東日本大震災などの災害時も、入管で手続きができず、ビザ切れ外国人となった人は多くいた。これらは一般的に「不法滞在」などと言われるが、これらは厳密にいうと「犯罪」ではない。外国人問題を考える際、レイプや殺人などの凶悪犯罪とは別に、超過滞在の問題は別個に考える必要がある。世界で経済格差のあるところ、人間の移動は必然的なもので、移住労働者は多くの国で生まれる。その存在を対等な「人間」として扱うとの精神性が「超過滞在者」という語句の使用には込められていた。古来、「和の国」である日本が、外国人との共生に悩むのは、本当の意味での「内なる国際化」の産みの苦しみに匹敵する。ルールを守らないから出て行けでは、日本人の精神性の後退を意味する。共存共栄は決して綺麗事ではないが、完全に不可能な目標でもない。同じ人間として、わかりあえる部分はゼロではないはずだ。「昭和100年」を記念する今回の国政選挙は、あらゆる意味で記念碑的な選挙になる。