カテゴリー ‘疑惑の作家’ のアーカイブ
徒然なるままに

メッキが剥がれ続ける門田隆将

「週刊新潮出身のデマ製造機」の異名を取る門脇護が、門田隆将というペンネーム(通名)を使って週刊新潮編集部から独立を果たした経緯はいまでは比較的知られているようだ。独立後、最初のころはまじめにノンフィクションの取材を行っていたようだが、月刊 ...

情弱インフルエンサーの現在

埼玉県のクルド人によるデモについて陰湿なデマを流した人間がいる。それを鵜呑みにしたインフルエンサーには門田隆将、有本香、飯山陽などいつもの面々がいる。彼らはいずれも「日本人死ね」とデモをした旨拡散したが、それがすべてデマ。実際は「病院行け ...

ネームロンダリングの妄想右翼

昨日のつづきになる。「週刊新潮」編集部時代に多くの誤報・虚報を重ね、罪のない一般人・著名人の名誉を傷つけ続けてきた門脇護は、ついに同編集部に居続けることができなくなった。同時に当時出版した同人の著作も、本名で出版することができず、ペンネー ...

乙骨と門脇は同じレベル

昔、創価学会批判が盛んな時代があった。年代でいえば1980年代後半から90年代をすぎて2000年代くらいまで。そのころ、創価大学卒を売り物にして登場したのが乙骨某というジャーナリストだった。ジャーナリストといっても、正信会という日蓮正宗の ...

金美齢が「卑怯」と主張した人間

第2次安倍政権において元首相の再登板を後押しした評論家に三宅久之という人がいる。岡山県が出自なので、山崎正友の母方の系列とつながっている可能性があるが、この三宅氏について右派の女性論客の一人、金美齢という人が書いた追悼文をたまたま目にした ...

文章は駄本の『尖閣1945』

私の文章の師・大隈秀夫は文章の中に「のである」という表現を使うことを極端に嫌がった。教え子が一カ所でもその表現を使うと、注意するのが通例だった。「のである」は単に文章上の強調表現にすぎず、無くても成立する用語にすぎないからだ。スリムで無駄 ...