昨日のTBS報道特集で選択的夫婦別姓の特集がなされていた。キャスターが明治より以前は日本人は名字をもたない人も多かったと述べた言葉に、はて?と考えてしまった。個人的な話になるが、柳原家の戸籍をたどれるところまでたどったことがある。私の祖父の祖父、つまり高祖父の名前は柳原八右衛門、江戸時代の生まれで明治時代に90代半ばで亡くなっていた。名前をたどれるのはその父親までで、戸籍には「次平」とのみ書かれている。つまり、柳原という名字が記載されていないことが頭のどこかに引っかかっていたのだが、先のキャスターの発言でそのことが思い起こしたのだ。わが家の先祖も、江戸時代には名字をもたない一人にすぎなかったということだろう。明治になってだれもが名字をもつようになり、そこから「〇〇家の墓」も登場する。夫婦別姓に反対する極右勢力は、この制度を導入すると、戸籍制度が崩壊するとか、希代のデマ屋の門田隆将などは「先祖代々の墓がアッという間に消える」などの妄想を振り撒いている。いつもながらの光景ではあるが、日本会議のメッセーンジャー・ボーイに徹している姿にしか映らない。なぜならそこには事実的根拠というものが存在しないからだ。それはLGBT法ができれば女性の人権が脅かされるとか、外国人地方参政権が認められれば離島が外国人に乗っ取られるといったかつてのデマと同一の荒唐無稽さだ。かりにも「ジャーナリスト」を称するのであれば、裏づけのある言論を展開してほしいものである。