読売の産経化現象

読売新聞が石破内閣が7月中に退陣表明を行う旨「号外」を発行した問題で、同紙はいまも見解を発することなく、ダンマリを決め込んだままだ。日本の最大発行部数を誇る新聞として、実際は事実確認を行わず「号外」を出したと見られているにもかかわらず、その過程を検証せす、知らないふりをしている姿は、政治の論評を行う報道機関「以前」の問題だ。産経新聞はかつて南京大虐殺を認める紙面を展開しながら、安倍政権になって南京事件はなかったかのような主張に“方針転換”した珍しい全国紙だ。前提となる事実的根拠に何か変化があったかと思えば、そうでもない。要するに政治的状況に合わせて主張を変転した姿にすぎなかった。だが、読売も今ではそうしたジャーナリズム失格レベルに堕ちたと見られている。これらの事実はジャーナリズム全体に関わる問題であり、記者あるいは報道機関としての「基本動作」を欠いた結果生じた問題と捉えられる。報道の生命線は第一に正確であることだろう。その原則が踏みにじられている現状で、このまま知らぬ存ぜぬを貫くことは、日本のジャーナリズムのレベルを“最底辺”に落とす行為にも等しい。

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