石破首相がいつ「戦後80年見解」を出すかということが新聞紙上でかまびすしい。いずれにせよ閣議決定された正式の「首相談話」は出ないと決まっているようなので、あとはいつ首相の個人的な見解が発出されるかということだろう。ただし状況としては、戦後80年たっても南京大虐殺はなかったとの言説が政治家から堂々と発信されるような事態には、やはりクギを差す必要を感じる。日本が行っていることは一部の日本人にせよ、歴史家たちが厳密な事実をもとに確定させた歴史的史実を、都合よく捻じ曲げる行動によって永遠にこの問題が解決しないことを意味するからだ。もともと未解決の要因は、終戦時に都合の悪い文書を一斉に焼却することで「証拠隠滅」を図ったことに端を発する。最初から事実を認める気がなかった政府の姿勢の延長が、いまもつづいているにすぎない。だがアカデミズムやジャーナリズム(産経新聞を除く)は、すでに事実を確定させている。あとはそれをもとに、どう収束させるかという政治的技術に関わる問題だ。その意味で、日本民族を全体として見た場合、誠実とはいえない。事実を認めないから、相手への謝罪も届かない。永遠に前向きの関係が構築できない悪循環を繰り返すことになる。そこにくさびを打つのが、80年の節目でなくてはならないと強く感じる。