カテゴリー ‘空手’ のアーカイブ
徒然なるままに

空手雑感 25

私がフルコンタクト空手を始めたのは45歳のときだったが、もともとは「護身」が目的だった。仮に襲われたとき、あるいはからまれたときの対処法を身に付けておこうというのがそもそもの動機である。そう思うような出来事が実際にあったことも事実だった。 ...

空手雑感 24

極真空手の大山倍達(1923-94)は劇画で一世を風靡したため、同空手は本土で熱狂的に広まった。寸止め空手は当てない空手なので実戦では使い物にならないダンスのような空手であり、一方で極真は、実戦に役立つケンカ空手という主張だった。その真偽は ...

空手雑感 23

現在世界で最も広く流布されている空手の流派は松濤館といわれている。特に欧州ではその傾向が強いようだ。大山倍達が開いた極真空手は、本土の松濤館などを含めた伝統空手を「寸止め空手」との言葉でくるんできた。試合では実際に当てないので、実戦には使え ...

空手雑感 22

沖縄空手界の中興の祖といえる人物に糸洲安恒(いとす・あんこう 1831-1915)がいる。空手の主要な型の名称はサンチンにせよ、ナイハンチにせよ、そのほとんどが福建地方の中国語から来ているとされるが、糸洲は自ら平安(ピンアン)の型を創作し、 ...

空手雑感 21

空手の世界でたまに聞く言葉に、「3年かけてもよい師匠を探せ」というものがある。どの道にも似たような側面があるはずだが、師匠の技術的力量、あるいは人間性といったものまで含めて、自分が同じ時間と労力を費やすにしても、その結果がまったく変わってく ...

宮城長順没後65年

空手の世界の話だが、剛柔流の始祖・宮城長順師は戦後まもない昭和28年のこの日に亡くなった。前日まで空手の指導を続けていたが、心臓発作で倒れ、急逝したとされる。 1888年生まれの宮城は沖縄空手の伝道者としてその名を残している。 沖縄小林流開 ...