ほぼ沖縄空手を取材していて感じる私なりの一つの結論は、武の強さは流派に宿るのではなく、個人に宿るという事実である。よくあの流派は武術性が高いとか実戦的であるという言い方はするが、いわゆる「達人」レベルの人たちは実際はどの流派にも存在し、それはかなり個別性の賜物という意味である。ひとえに探究心の強さと膨大な稽古量がなしえるもので、研究熱心とも言い換えられる。沖縄の空手は組織された道場は7割程度で、あとはまったく組織に関わらない“一人武士”がいる。そういう人たちがメディアに登場する機会はほぼないし、名前もほとんど知られていない。最近も動画などでそういう「隠れ武士」をちらほら目にすることがあるが、あらためて奥深い世界だと感じる。その意味でも「武術性の探究」が最近の取材テーマとなっている。