世界にはたくさんの空手の種類がある。もともとの発祥は沖縄だが、世界に伝播していく過程でさまざまな変化を遂げた。その中で組手の試合を行う競技はおしなべて試合上の勝利を最高目的とするため、修羅界の空手となる。この場合の修羅界は、仏教で説くところの十界の一つのことだ。先日もSNS上のことだが、子どもの組手試合で、試合が終わったあと一方の選手が背中を向けて戻ろうとしたところ、父兄らにけしかけられたもう一人の選手が相手の首辺りを後ろから蹴り上げた映像がバズっていた。これは明らかに修羅界の空手の弊害だろう。一方、試合を目的としない本来の護身の空手、なかでも古伝とされる空手は人界の空手であり、菩薩界の空手とも形容できる。無用な争いを避け、相手をできるだけ傷つけずに制圧することを至高とする考えからだ。最近ふとそんなことを考えたので書き残しておくことにした。