大川原化工機事件と門脇護捏造事件

昨日東京地裁で出された国や東京都に1億6000万円の賠償金を認めた判決。安倍政権下の「経済安保」政策のもと違法捜査が行われ、国策逮捕された冤罪事件。社長は無事に生還できたが、顧問の男性はガンで死去した。診療を自由に受けられる状況だったら助かった可能性が高い。このわかりやすい構図に世間からも警察・検察はひどいことをするという思いが広がっている。この事件で問題となった大川原化工機側は、温度測定の実験をすれば無実は証明されると主張していたが、捜査側はそうした必要な反面調査を行わず、逮捕・起訴に突き進んだ。見せしめ(スケープゴート)にする意図があったと見られている。被害者となった社長が警察・検察に「謝罪を」求める様子が本日付各紙、特に読売社会面で大きな見出しとなっていた。この冤罪の構図を見て、私は過去の「週刊新潮」デスクだった人物が起こした世紀の大虚報事件を思い出した。大川原化工機事件における捜査側の捜査不足と同じく、当時の週刊新潮デスクが虚偽情報のたれこみを鵜呑みに、それとは逆の裏づけ取材をまったく行わないまま、デマ記事を作成していた。先日死去した池田名誉会長に刑事犯罪があったかのような虚偽キャンペーンを延々とつづけた事件だったが、実行したのは現在「門田隆将」をなのる門脇護という人物だ。大川原化工機における警察・検察と同じように、門脇護も今だ謝罪していない。

一昨日判決があった伊藤詩織さんの事件では「週刊新潮」はジャーナリズムとしての役割をきちんと果したが、1996年松田宏編集長の元での門脇護らの行動はデマを煽動する“ジャーナリズムもどき”のそれにすぎなかった。デマ記事のほうが売れるのは、現在のネット社会で正しい情報よりデマ情報のほうが速く拡散される現象と似ている。

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