社会党政権が残したもの

私が社会新報に在籍した1993年11月から96年12月にかけては政治の激変期だった。すでに細川連立政権時代に入っており、その後、連立与党からの離脱、自民党と組んだ社会党首班内閣の樹立、自民党政権へと目まぐるしく移り変わったからだ。それでも94年半ばに発足した村山富市社会党政権は、社会党政権ならではの明確な政策実績を幾つか残した。一つは95年8月、戦後50周年の節目に出した「村山首相談話」だ。先の大戦の反省をアジア諸国に向かって表明し、反省の意を示した。この談話は櫻井よしこなど極右インフルエンサーからは今も蛇蝎のごとく嫌悪されているが、閣議決定して出された正式バージョンの首相談話であり、当時の大臣すべてが署名した上でのものだった。その意味では自民党のすべての大臣が納得して出されたものだ。そこには野中広務、亀井静香、田中真紀子といった人々が含まれている。いまこの談話を読み返してみると、文章としてはこなれていない面が一部あることを感じないでもないが、いわんとする趣旨ははっきりしている。一方で93年の「河野官房長官談話」は文章としては完璧なものであり、内容にも一点の曇りもない。話を戻すと、社会党政権が残した2点目は、95年12月の人種差別撤廃条約の批准だ。これは部落問題や在日コリアンの問題に取り組んできた社会党首班政権ならではの政策実績だった。だがその後、条約が求める「国内法」を制定していないのは、この国の政治の怠慢である。3点目がアイヌ関連の新法作成の方向づけを行ったことだ。この3つは自民党政権であれば、なしえなかったことだった。その意味で、自民党以外の政党が首相をとると、このような実績を残せるという一つの「先例」といえる。時代を下って2009年に発足した民主党首班の連立政権は、社会党首班政権とちがって、大きな成果は残していない。特に当時期待された外国人地方参政権、人権擁護法案、夫婦別姓法案が3大課題法案などといわれたが、いずれも未達成で終わった。こんごの政治課題だ。

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