社畜から議畜へ

1996年以降、「週刊新潮」松田宏編集長のもと事実の裏づけなくデマ記事を連発した門田隆将こと門脇護。その行動は目先だけで見れば、社内表彰という栄誉を受け取ることも可能となった。だがジャーナリズムの根幹である「ファクト」を無視し、自己保身の行動に走った「社畜」としてのツケは大きかった。その後、デマ記事の発信者であった女性夫婦が起こした民事裁判で、事実的根拠が存在しないことが認定され、棄却ではなく「却下」という異例の判決が下った。判決では「訴権の濫用」とまで断じていた。自己保身のため安易なデマに走った門脇は編集部内で窮地に陥っていく。それまでも多くのデマ記事を作出したが、この問題は根も葉もない一時しのぎのためのしかもキャンペーン型記事であり、編集部内でも疑問視されるほどのレベルの代物だった。このデマ・キャンペーンに同人が参画していなければ、彼は週刊新潮の編集長に就任した可能性すらある。社内出世の道を断たれた門脇は2008年、新潮社を辞め、独立する。しばらくはまじめに仕事をしたようだが、ネズミの子はネズミ、こんどは「社畜」の対象を、新潮社からネトウヨに切り替え、いまでは日本会議の尖兵役である「議畜」として振る舞う。たとえばことし6月国会成立したLGBT理解増進法において、この法案が成立されると女性トイレに女性と主張する男性が押しかけ、女性の人権が危うくなるなどの主張を40万を超える自身のフォロワーらにたびたび発信し、法案成立を阻止しようと試みた。ふたを開けてみればそれらは日本会議の主張そのものといってもよく、同人の「社畜」の対象を日本会議にすり代えたにすぎなかった。結論として、彼にとっては事実(ファクト)が大切なわけではないという現実だ。ファクトよりも自己保身を優先する行動は新潮社時代から一貫しており、その傾向は現在においても変わらない。ジャーナリズムの「最大前提」は事実に立脚することに尽きるが、その基本原則が、彼には存在しないのだ。

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