創価学会が初めて国政選挙に候補者を擁立したのは1956(昭和31)年。地方区(いまの選挙区)で1人、全国区(いまの比例区)で2人、計3人の当選者を生んだ歴史的な選挙だった。以来、59(昭和34)年から65(昭和40)年にかけて、計4回の参議院選挙を繰り返した。獲得議席の推移は以下のようになる。
1956 3(大阪1・全国2)
1959 6(東京1・全国5)
1962 9(東京1・大阪1・全国7)
1965 11(東京1・大阪1・全国9)
この間、1962年に政治団体として「公明政治連盟」が結成され、公政連の第1回全国大会が同じ年の9月、東京の豊島公会堂で開かれている。このとき、池田会長(当時)が「大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」とのあまりに有名な、立党理念をスピーチしている。
さらに2年後の64年5月、公明党の結党と衆院進出の方針が発表される。結党大会が開催されるのは同年11月17日のことである。
翌65年には、参院選で11人を当選させ(上記年表)、参院で20人の議員集団の陣容になるとともに、直後には都議会のリコール解散による選挙により23人を全員当選させ、「完勝」の歴史を刻んだ。いずれも公明党結成後の「初陣」にほかならない。
衆議院の解散総選挙が行われたのは67年1月。公明党として迎えた初めての衆院選であり、このときなんとか25人を当選させ、政党としてぎりぎりで院内交渉権を獲得した。それから50周年となる本年――。
きょう衆院選が公示される。