都議会議員選挙などでいつも顕在化するのは公・共対決の熾烈化だ。同じような支持基盤を土壌に60年代ごろから対立が明確となり、選挙のたびにぶつかってきたライバル同士の関係だ。今回の都議選では小池百合子都知事が打ち出した水道代の基本料金を夏場の4カ月間だけ無償化する措置について、公明党は「自分たちの要望が通った」と宣伝し、一方の日本共産党は「2020年から繰り返し求めてきたもの」(6月8日付しんぶん赤旗)など、まるで自分たちの努力で政策実現したかのような宣伝を公然と繰り広げている。客観的に見た場合、どうなるか。よくいわれることは、共産党は総花的に多くの要望を提出するなどするものの、多くは相手にされない。その上で与党が必要と感じて提案して実現した内容がそれとかぶる場合、共産党は自分たちの要望が通ったという論理を「使用」する。かといって、その政策実現のための予算案採決においては賛成せず「反対」する。それでいて選挙の際に「政策実現した!」と声高に叫ぶのはいつもながらの光景だ。
いうまでもなく、一つの政策の実現には、役所側との折衝に始まり、議会内の調整など多くの「下作業」が必要になる。実際にその作業のために汗をかくのは常に公明党側だ。そのため、共産党の虚偽とも思える宣伝に最も腹を立てるのも公明党側という図式が常に見られ、まさに今回も同様の構図だ。公明党支持者からすると、なぜ共産党はウソを平気でつけるのかという素朴な疑問に結びつくが、共産党側からすれば、たいした実績も出せない政治ポジションにいる以上、宣伝材料はなんでも活用させていただくというのが本音かもしれない。なおかつ本来の革命政党の立場からすれば、革命成就のためには多少のウソなどどうでもよい、人民を騙してでも革命を達成することが第一目的という歴史的な精神性があることも明らかだ。要するに、目的のためには手段など大した問題ではないという発想である。だが他国共産党を見てみよう。多くの革命を達成した国で、その後まともに国家として繁栄した例がどの程度あるだろうか。ほとんどが独裁化、腐敗化した政権のもとで崩壊し、成功した例を私は知らない。第三者の立場からすると、日本共産党の政治姿勢は完全な二重基準だ。政治における精神性の根幹は、いかに有権者を欺くか。要するに勝てば官軍という根強い発想である。