山崎正友に見る「退転者」の共通項

 元弁護士・山崎正友の青年期時代を過去に取材した中で私が感じたことは、若いころは彼も信仰にまじめに取り組んでいたという事実である。そのことは兄弟等の親族や身近な同世代の人々も共通して証言していた。おかしくなり始めるのは、弁護士バッジを身に付けてからだ。仕事上「先生」と呼ばれる立場になり、教団内でも手厚く扱われるようになった。さまざまな誘惑が増えと、ここまでは世間一般でもよくあることであろう。
 こうした中で信仰人として求められることは、謙虚に、信仰の原点に立ち戻って「初心」を貫くことであったはずだが、彼にはそれができなかった。日常の信仰活動(勤行や唱題)がおそろかになり始め、道を転がりだすのにさほど時間はかからなかったようだ。享楽的行動にふけるようになり、彼にとっての価値基準は「カネ」や「名誉」に変質し、本来の「何のため」といった目的観が欠けてしまった。
 具体的には、自ら金儲けのために手がけた冷凍食品会社シーホースを放漫経営で倒産させ、何十億円もの負債を背負い、借金取りに追われ、あげくに顧問先(依頼主=お客さん)の教団を恐喝――。教団側はやむなく同人を刑事告訴し(1980年6月5日)、さらにその後、教団から除名処分となる(同年9月6日)。山崎による「週刊文春」での実名連載が開始されるのは、同年10月のことであるが、覆面手記はすでにその前から始まっていた。
 結論的にいうと、山崎をはじめとする「退転者」に共通する特徴は、けっして自分の責任を認めようとはしないことである。山崎が自身の信仰をおかしくした原因は、本質的には自分自身の「中」にあった。だが、けっしてそれを認めることができない。すべてを外部環境のせい、つまりは自分以外の存在に求めようとする。これは客観的にも非常にわかりやすい特徴といえる。そのため彼の糾弾対象は、自身を告発した教団そのものに向けられ、同人の後半生は、すべて“教団憎し”の感情に基づく意趣返しのための行動に費やされることになった。事実とは関係なく、あることないことをまじえた教団攻撃が、死ぬまで延々と繰り返されたのである。
 退転者に見られる最大の共通項は、「すべて人のせい」という一点に尽きる。そのため、自身の行動を振り返る視点がすっぽりと抜け落ちてしまう。「他人を批判するだけの行動」が目につくのであれば、上記のパターンと同じ方程式にあることに注意を払う必要がある。

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