元弁護士・山崎正友(1936-2008)は元創価学会の顧問弁護士だった。創価学会員生え抜きの弁護士第1号として期待され、大事に使われた。その山崎が自分は特別の存在と錯覚し、信仰のあり方を曲解し、道を外れていったことは教団内では広く知られている。その過程で教団に対する逆恨みの感情を強め、最後はむなしく生涯を終えた。これは教団内においては、最高幹部(あるいはそれに準じる立場)の反逆パターンとしてみれば、非常にわかりやすい。
一つは、教団内で、対立する勢力(いわゆる敵)と戦う立場にいたという事実である。山崎の場合、当時教団と対立した妙信講などの処理に早い時期から当たっていた。第2に、教団の機密事項に触れる機会があったという事実だ(=これがないと教団への攪乱行為は実行できない)。第3に、個人に即してみれば非常に重要なことなのだが、信仰のあり方に誤りがあったという事実である。より平たくいえば、現場での苦労を経験していない。要するに信仰の実践家ではなく、所詮は「評論家」レベルにすぎない信仰と表現すればよいだろう。山崎はそうしたタイプの典型例だった。そんな人間に感化され、本人同様に転落の道を共にした者も多くいたようだ。
上記の方程式は、今後も変わることがないと思われる。今後「第二の山崎正友」となっていくパターンは、(1)敵と戦った経験を持ち、(2)教団内の機密事項などにふれる機会のあった者(教団職員や弁護士など)であって、(3)現場での地道な苦労をさほど経験していない評論家きどりのハンパ者ということになる。中でも、過去の自らの功績にうぬぼれの感情を抱く者は、特に危険と見るべきである。
この3つすべてに適合する人間は注意が必要だ。今後、教団内外において、わかりやすい形で、このパターンの進行が予想される。
トラックバック・ピンバックはありません
トラックバック / ピンバックは現在受け付けていません。