1日挟んだ話題になるが、文章の恩師のことで3つほど思い出したことがある。東大在学中に学徒出陣にとられ、戦争が終わったあとは東大から九大に移った。そして西日本新聞の記者となった。多くのスクープもものにしたようだった。私が明確に記憶しているの ...
ウクライナ危機をめぐり、論客のレベルが色分けされる時代となった。要するに自分のことしか考えていないか、世界全体のことを考えているかといったそもそもの「構え」の違いである。自分のことしか考えていない人間はここを力の入れ所とばかりに日本も核兵 ...
私は1回目と2回目の接種を自衛隊の大規模接種会場で受けたので、種類はいずれもモデルナだった。特に2回目は39度を超える高熱に見舞われ、一昼夜にわたり大変な思いをしたので3回目接種はとりあえずいいかと延び延びになっていた。だが床屋談義ではな ...
幼少期、両親の共働きのためかぎっ子として育った私はいまもその影響を強く受けている。小学1年の夏休みに家に一人残すことを心配した両親は、私を母親の実家にひと夏預けた。姉のような従姉妹たちが十分可愛がってくれたが、なにぶん農家なのでまるで様子 ...
昨年10月に行われた総選挙は、日本共産党が政権に参加する可能性が生じた歴史上初の選挙だった。同党の過去の罪状が表に出る機会になったのは必然的なことだった。その影響もあってか、同党の思惑とは裏腹に、議席は伸びず、同年7月の都議会選挙とは対照 ...
コロナ禍がまだ明けやらない2022年の元旦を迎えた。この年は私にとって一定の感慨がある。まず文章の恩師が100歳となることだ。100年前の大正11年に佐賀県で生まれた恩師は学徒出陣で生き残り、戦後はマスコミ界で生きた。当時一時代を築いた社 ...