沖縄戦から80年。沖縄本島への攻撃は4月1日に始まったとされる。私は沖縄空手家の評伝を書くために20世紀沖縄の歴史を調べる必要があったので、そのときさまざまなことを学んだ。近年論争になったのは当時の沖縄県民の集団自決において軍の命令があったかなかったかだったが、この問題で旧日本軍をかばう側に立って執拗に主張を続けたのが統一教会幹部だった。統一教会や日本会議(神道勢力)の主張は常に、旧日本軍を擁護する側に立つため、その点は極めてわかりやすい(靖國史観も同様だ)。問題は事実のあり方のほうにある。沖縄に転戦した日本軍部隊には1937年当時、南京大虐殺の殺戮やレイプに直接加わった部隊がいた。現地の女性を強姦し、殺すという直接体験をもった部隊が沖縄に来て、地元の女性たちが米軍からどのような目に遭わされるかは自分たちの「加害体験」を通して想像したはずである。その結果か、辱めを受ける前の集団自決につながった。戦争に関する歴史認識は《自民族優越主義》という「主観」が容易に入りこみやすく、エビデンスに欠ける議論がまかり通る。重要なことは事実に基づいた論争でない限り、教訓化が難しいことだ。教訓化できなければ、人間は同じ過ちを繰り返す。それは最も愚かな行為といえる。公教育での歴史教育においてもその視点は欠かせない。人間は過去の教訓を学びながら成長する生き物にほかならない。