同時代の名声と没後の評価

同じジャーナリストや作家の肩書でも、「歴史」を意識して仕事をしている者とそうでない人間は明確に分かれる。例えばどんな意図的な嘘でも一定の年月をへればほとんどは暴かれる。白鳥事件もその一例だ。「歴史法廷」の前には無意味ということだ。そのため歴史を意識しない職業人にとってはデマは平気で、目先の利得やフォロワー獲得のための行動をとりやすい。昨今の50万人以上のXのフォロワー数をもつインフルエンサーと呼ばれる人間たちは明確にその範疇に入る。事実かどうかはどうでもよい。むしろ嘘のほうがフォロワー数は増える時代なので、平気で裏づけのない情報を垂れ流す。その結果としての50万フォロワーだ。だがそのような行為が後世の歴史において評価されるかといえば、まったくそうは言えない。後世においては間違いなく、消えてなくなっているだろう。それは戦中や戦前、戦争を煽った言論人が、戦後、まったく評価されなくなった現象にも通じるものだ。逆にいえば、いまはまったく無名の存在であっても、没後に生前の行動が評価されるということは歴史上いくらでもある。さて、どちらの生き方が世の中のために役に立つ生き方だったといえるだろうか。

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