この欄で何度も繰り返しているとおり、私は個々の日本共産党員になんら悪意を持っていない。この10年間の日本の歴史改ざんを果敢に批判してきた同党や同党関係者の行動も率直に評価する立場だ。一方で自分の党の歴史を歪曲・美化する矛盾した態度はまったくいただけない。そうした言行不一致の極端さがこの党の一つの大きな特徴ともなっている。ことし1月に4年ぶりに開かれた党大会で田村智子委員長は委員長就任前の演説ながら、般若の形相で一人の女性代議員の発言を罵倒し、当該代議員の人格を否定する発言まで行った。それをネット中継で視聴していた党員、党外の人間にはその場面を見て不快感を覚え、同党への嫌悪感を抱いた人がいた。同党はこの件に関する第三者機関を設置するか、田村氏は自ら自己批判し、誤りを認めるべきだったはずだが、いまも開き直ったままだ。事実を認めると党幹部としての権威が失墜し、党内規律を維持できないとでも考えているようだ。要するに保身である。人間は誤りを犯す可能性をもった生き物という謙虚さは常に必要だ。特に政治の世界ではそのことが一層求められる。その上で、自分の誤りを認めることのできない政治家は、大日本帝国時代の数々の非行を認めない靖國右翼と何ら変わるところがない。歴史(あるいは事実)を都合よく改変し、正当化するのは右翼の専売特許ではない。そのことを田村氏の行動は示している。