天皇制と結びつく歴史認識

来年で戦後80年を迎えようとするのに、この国の歴史の改竄はいまも堂々とまかり通る。旧日本軍は中国大陸まで出かけて行って、土足で蹂躙し、女性とみれば日常的にレイプし、食糧を奪い、証拠隠滅のために殺害するという行為を繰り返した。これが「侵略」でなくてなんというのか知らないが、現在、日本でも否定される風潮が強い慰安婦問題や、南京事件の否定は、上記の行動を行った当時の日本軍が「天皇の軍隊」と称していたことから必然的に生じている現象だ。天皇を純粋に尊崇する立場の日本国民には、上記の事実を認めなくない勢力が存在する。だが、ジャーナリズムやアカデミズムの立場からすると、事実は事実として認めることが第一義であり、歴史はそうした事実の集積から形成される。多くの慰安婦が朝鮮半島から騙されて連行され、ほとんどが処女であった女性たちがいきなり何十人もの人間と性行為させされた人生をどのように考えるか。日本女性に対して行いえなかったことを、当時の日本政府は二等日本人とみなした朝鮮人女性に対して行ったにすぎない。こうした過酷な歴史の真実が事実として認められ、その上で初めて教訓化される。歴史的にほぼ確定しているこれらの事実を認めようとしない勢力が横行するのは、天皇制と密接にからみあっている背景からにすぎない。仮に「ジャーナリスト」や「ジャーナリズム」を称する人間がそれを行えば、自らの存在意義の否定でしかない。産経新聞が行ってきた“チープ歴史戦”は、まさにその象徴だ。

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