カテゴリー ‘ノンフィクション’ のアーカイブ
徒然なるままに

プロパガンダ作品の限界

『38度線の北』は北朝鮮のプラスの側面を集めたプロパガンダ作品(翼賛本)として知られている。発刊されたのは1959(昭和34)年4月。日本共産党員(当時)の寺尾五郎が北朝鮮訪問の見聞記などをもとに、社会主義国・北朝鮮のバラ色の世界を描き、 ...

ノンフィクションの予断と修正

まだ20歳そこそこの学生時代、ルポライター竹中労氏のルポルタージュ研究会に何度か足を運んだことがあった。幾つかのフレーズを覚えている中で、「予断は取材によって修正される」というものがある。例えていえば、ある事件の取材をする。取材者は限られ ...

イデオロギー・ノンフィクションの終わり

ノンフィクション業界は完全に「冬の時代」を迎えている。発表媒体が激減していることに加え、取材費の確保もままならない苦しい時代だ。ノンフィクションはある人物や出来事を「深掘り」する作業なので、過去の事柄を調べなければならない。そのためには人 ...

北と南

近年の仕事でいえば、空手を通して沖縄での取材が増え、沖縄空手に関する単行本を2冊上梓することにつながった。その間、東京―沖縄を20回ほど往復した。 沖縄に出張するというと聞こえはよいが、一度も観光らしいことをした記憶がない。当然ながら海で ...

ノンフィクションの壁

ノンフィクションは文芸作品の中の一つのジャンルといえようが、小説などと明確に異なるのは必然的に一定の取材費を伴うということだ。過去または現在の人物を追うにせよ、事件を追うにせよ、必要な場所に身を置き、関係者を探しだし、取材するところまでた ...

愛国ノンフィクションの限界

ノンフィクションの分野に「愛国」という要素をたぶんに取り込んだのは門田隆将という作家を嚆矢とする。要するに「国威発揚」を目的として構成されるノンフィクションのことだ。例えば過去の戦争を描く場合にはそれは特定の人物に焦点をあて、その人物の功 ...