予断と修正

しばしば「白紙で取材する」などの言葉が聞かれることがある。だが逆に「取材に際して予断を持て」と力説していたのは私が若いころ接触した在りし日の元祖ルポライター竹中労(1928-1991)である。ただしそれは取材によって修正されることが前提とも語っていた。要するにある事象や事柄について自分なりの見方をもっておくことはむしろ必要という考え方だ。ただしそれは「事実」(ファクト)によって修正される。世の中の書き手の中には少数ながらこの修正の作業を行わない者もいるからやっかいだ。自分の予断が変わらないというタイプである。そういう者に限って誤報や捏造を繰り返すことは言うまでもない。門田隆将などはその典型なのだが、冒頭の竹中労の言葉はいまになっても身に染みる。要するに「現場探訪」の言葉も残した竹中だが、ファクトに立脚するということはそういうことだろう。冒頭の予断は先入観と言い換えてもよい。だからこそ取材という営為は興味深く、奥が深い。

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