プロパガンダ作品の限界

『38度線の北』は北朝鮮のプラスの側面を集めたプロパガンダ作品(翼賛本)として知られている。発刊されたのは1959(昭和34)年4月。日本共産党員(当時)の寺尾五郎が北朝鮮訪問の見聞記などをもとに、社会主義国・北朝鮮のバラ色の世界を描き、日本に住む多くの人々を“煽動”した書物として知られる。発行元は日本共産党の下部出版社である新日本出版社だった。同年12月に北朝鮮に向けた最初の帰国船が新潟港から出港するが、渡航を躊躇していた日本の在日コリアンたちに北朝鮮に渡る「決断」を促した書として、いまでは犯罪的な意味合いで語られる。要するに最初から結論の決まったプロパガンダ作品であり、北朝鮮の不安定要因やマイナス材料には目をつぶり、翼賛できる材料だけを寄せ集めた代物であったので、現実とかけ離れた内容となっていた。北朝鮮に渡った人たちはすぐに「だまされた」ことに気づくことになるが、時すでに遅し。「3年で里帰りできる」との甘い言葉も、すべてウソで永久に戻ることができなくなった。このように、事実と実態を体現しないプロパガンダ作品は、読み手を騙すだけでなく、読み手の人生さえ変えてしまうという典型事例といえる。

左翼でなく右翼の世界という違いはあるものの、門田隆将の描いてきたプロパガンダ作品は、寺尾の北朝鮮礼賛を、北朝鮮から日本に変えただけのもので、その本質に変わりがない。

話は変わるが、私の文章の師・大隈秀夫は西日本新聞記者時代、最初に上梓した書物は『新中国の裏通り~社会部記者の見た中共』というものだった。新生中国を横断して取材し、周恩来首相にもインタビューして書いた見聞記である。だがそこには中国の担当者が著者が不在の時間帯にホテルの部屋に黙って押し入り見つかって押し問答になった事実や、中国にも「街角に立つ売春婦」や「こじき」が存在する実態をそのまま活字にしている。直接私が聞いたところでは、当時は革新勢力の勢いがいまよりずっと強い時代で、共産主義を地上の楽園と信じる党員や支援者から、多くの批判を受けて弱ったといったことを語っていた。真実を書けば、書き手が同時代においてそのような反応を受けるのはむしろ当然なのだろう。

寺尾五郎は、同時代においては熱狂的に歓迎される局面もあっただろうが、後世においてはなんら真実を描いていないトンデモ本の評価を定着させている。門田隆将のノンフィクションも、同時代には多少受けても、後世には似たような評価を受ける可能性が高い。要するに意図的に切り取った、書き手にとって「都合のいい真実」を描いているにすぎないからだ。

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