40年前の今日、私は勤行を始めた。その半年前に入会手続きをとっていたが、すぐに信仰の世界に馴染んだわけではない。入会はむしろその場の強制といった感じで、「では1年間だけやってみます」と述べて前向きに解放されたものの、入会後すぐに信仰する気にはなれなかった。大学に近いアパートの6畳部屋の片隅に、カラーボックスの上に鎮座するお厨子を見てうらめしく思ったこともある。だがなぜか拝んでみようという気になったのはその前の月、初めて海外旅行として中国を旅したことが関係したと思う。南の香港から深圳経由で中国入りし、北京まで北上、最後にまた香港から出て帰国する2週間ほどの旅だったが、学生時代の気ままさと、大陸の雄大さに感化され、心境が変化したと思われる。初めて日蓮仏法の本尊と真摯に向き合う気持ちになった。以来40年。半信半疑の「1年間だけ試してみます」は、生命における不動の確信と定着して久しい。9月27日はアパートの部屋の光景とともに刻まれた。中国の大地が触発の“母胎”となった。