ジャーナリストも政治家も残した仕事の実績を問われる職業といえる。例えばどんなベストセラーを書く書き手であったとしても、後世に残らない程度の価値しかない“時流物”にすぎないのであれば、時代が変われば見向きもされなくなる。昭和の戦争中にベストセラーとなったプロパガンダ作品が戦後、まったく消えてしまったのはその典型例だろう。ジャーナリストの仕事は時流に合っているかどうかではなく、人類の普遍的価値にかなう仕事を先行的に残したかどうかで計られると私個人は漠然と考えてきた。同じことは政治家でも同様にいえる。特に「結果責任」を重視されるこの分野の場合は、自分が政治家としていかなる価値、実績を残したかで計られる。国会議員を一定程度勤めているのに、誇るべき実績を端的に挙げることができない政治家などは、やはり仕事をしていないということになる。その意味では職業的価値が実績主義で共通しているといえる。歴史で意外なことは、同時代にはほとんど評価されないような仕事が、その没後に大きく評価される事例は歴史の中でしばしば見受けられることだ。私はそのような仕事を志したいと考えているタイプの人間である。