私と日本共産党の20年戦争

私が社会新報から独立したのは1997年1月。その年の東京都議会選挙をある媒体で取材したとき、初めて日本共産党に関する取材を始めた。日刊紙赤旗の購読を開始したのもこのときで、それは同党の政治姿勢に共鳴したからではなく、仕事上の必要にかられてのことだった。とはいえ、当初は同党の「本質」を見抜けていなかったので、赤旗に書かれている主張を鵜呑みにしていた。同党のぬぐいがたい体質を痛感したのは、やはり北朝鮮帰国事業にかかわった同党の経緯と、その後の驚くべき手のひら返しというべき同党の対応を知ってからだった。北朝鮮と同党は、中国と同党の関係と同じく、かつて「兄弟党」を誇示した関係である。いまは他人を強調する同党だが、「元兄弟」という血縁関係は切れることはない。帰国事業に関する本を出版したのは2002年暮れ。それが裁判沙汰になって、私の人生も大きく変わった。同党はその後、裁判で私に勝つことができずに、訴えを降ろすというブザマな醜態をさらすことになった。訴訟の当事者は志位和夫委員長だったが、実質的な責任者は不破哲三こと上田建二郎という名の偽名使いの党首だった。それでいて赤旗は、私がペンネームで執筆したことを批判するというオカルトな行動を示した。その後、同党批判をする気も少なくなり、長らく小康状態にあったが、ことし、私は同党の過去100年近い党史における矛盾を集積した書物『ガラパゴス政党 日本共産党の100年』を出版した。友人らからは「ガラパゴス」のタイトルがピンとこないという反応も多いものの、私の中では、同党はすでに立ち上がれないという気持ちでいる。要するに急所にドスをぶすりと突き立てられ、動けば動くほど鮮血があふれ出し、致命傷に至るという種類の本だからだ。後世において私は「日共を安楽死させた男」との異名をとるかもしれない。まあこれは言い過ぎだが、それでも同党の支持者らがまっとうな庶民であることはよく知っている。その人たちに恨みがあるわけでもない。ただ日本共産党という「宗教」が人を幸福にすることがないことだけは確かだ。日本はいま、共産主義の脅威よりも、国家主義の危険性のほうがよほど大きくなっているように見える。こんご私は、個人的には「国家主義」との闘いのほうに比重を移すつもりだ。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。