門田ノンフィクションの虚構 1

門田隆将こと門脇護が週刊新潮記者時代に、とんでもない行為を繰り返した記者であることは知っている人は知っている。2008年春にこの人物が同編集部に居られなくなって退職したあと、すでに12年の月日がすぎた。この間、同人は多くのノンフィクションと称する著作をものしてきたが、それらを精査してみると、そもそも客観的なノンフィクションという名称に値するのか首をかしげたくなるものも多く混ざっている。このことはあまり指摘もされていないようなので、この不定期シリーズで取り上げていくことにする。

 1回目に取り上げるのは同人がジャンルの一つとしている戦記物、特に昭和の戦争の象徴的な戦いともいえる沖縄戦についてだ。同人は小学館から『太平洋戦争 最後の証言』シリーズなる3冊の著作を2011年から12年にかけて上梓しているが、その中で沖縄戦が占める割合は極めて小さい。さらにその内容も、沖縄の住民から日本兵が優しくされたというような証言ばかりで、沖縄戦の本質のようなものは、ほぼまったく記述されていない。

 この戦争を調査した者ならだれでも知っていることだが、この極限ともいえる戦争で、日本軍の本質は明瞭な形で明らかになった。沖縄で隠れることのできた場所は自然洞窟のような壕、さらに亀甲墓とよばれる沖縄独特の墓の中などだったが、そこに隠れていた住民を日本兵は追い出し、砲弾の下にさらしたなどといった証言は腐るほど残されている。さらに日本兵は地元住民をスパイ呼ばわりすることも日常茶飯事だった。その結果、沖縄県民にとっては、米兵よりも、日本兵のほうが脅威であったとの心情もよく指摘されるところだ。

 物事にはさまざまな局面において、さまざまな事実が存在する。「住民を守らなかった日本軍」をまったく描かないで、どうして、真実を描いたことになるのだろうか。

 もちろん、同人が昔の兵隊出身者に取材して、沖縄の現地住民から優しくされたという証言を得て、それを活字にするのは自由である。だがそれだけでは、単なるミスリードであって、逆に真実を覆い隠す意図があったとみられても仕方あるまい。

 都合のよい一部の断片的事実を描いたとしても、けっして真実を描いているわけではない門田ノンフィクション。そこからは歴史の教訓を読み取ることは難しい。本人は「事実のみを描くのがノンフィクション」などと訳知り顔なことを語っているが、彼が描いているのは、自分の都合のよい「断面」にすぎない。

 結局、結論を先に決めて取材し、自ら決めた結論に合わない事実は捨ててしまう。そうした週刊誌的手法を、ノンフィクションという分野で行っているだけに見える。

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