官房長官人事で失敗した高市早苗

第2次安倍政権は本人にとっても思いがけなく生まれた奇跡的誕生の政権だった。3年3カ月を共にした公明党も、同時に政権に復帰する。このとき創価学会は安倍晋三とは戸田第2代会長と安倍の祖父である岸信介が“親友”の時期があったという特別な関係ではあったが、政治信条は水と油で、政権を共にすることに不安がなかったといえばウソになるだろう。ただし、総裁選勝利への流れの中で官房長官に抜擢された菅義偉は、公明党の支援団体と直接的に野太いパイプを作り、政権を切り盛りした。それは選挙の得票を最大化するという安倍の考えにもマッチした行動でもあった。一方、高市政権はどうであったか。そもそも政治が「数の論理」であるという冷徹な自覚がはなはだ欠けていた。公明党は踏んでも付いて来る“下駄の雪”と侮っていた。そのためか、政府のかなめである官房長官に、公明党の支援を受けておらず、創価学会とも関係がよくないとされている人物を起用することに躊躇しなかった。仮にここに菅義偉までとはいわないまでも、教団とも気心の知れた人物を配置していたらどうなっただろうか。私の個人的な見解だが、連立解消はかなりの確率で回避されたと予測する。公明党側からすれば、パイプを最初から閉じた高市の政治姿勢からは、いずれ連立関係は行き詰まるとの達観があったと思われる。さらに高市の周りには門田隆将のように政治のイロハを弁えていないのに、ラウドスピーカーだけのうろんなタイプが控えていた。最初から「失敗」が約束されていたようなものだ。人間は付き合う交友関係のレベルによって仕事の結果が変わってくる。今回はその「定石」が証明されたにすぎない。

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