責任を負わない文化

今朝の新聞に「世界の死者50万人」の見出しが躍っている。新型コロナウイルスに感染して亡くなった人数だが、こうした大きな数字を見て思い出すのは、やはり310万人という数値である。日本が先の昭和の戦争で失った戦没者の数であり、昭和の戦争がいかに大規模な殺戮を行ったかがうかがえる数字だ。何度か述べたことがあるが、この戦争で当時の天皇は何の責任も負うことはなかった。戦争遂行中は密接に軍部政治にかかわり、戦争遂行にも重要な関与をしてきたにもかかわらずだ。一方で東条英機など明らかな戦犯だけが絞首刑とされた。このとき、最大の責任者であったはずの立場の人間が何ら責任を負わないで済まされたという事実は、その後の日本人の「責任を負わない文化」の形成に大きく影響を与えてきたと考えるのは私だけだろうか。例えば、近年でも、これ以上はないほどの捏造記事を作出した人間が、その後、たいした制裁を受けることもなく業界内でのうのうと生きている姿は、戦争責任のあり方と直接的につながっている問題だと私は感じている。またガス室はなかったなどのトンデモ記事で会社を追われた編集者がいまも業界内で「南京虐殺はなかった」などの史実と異なる記事を垂れ流してのうのうと生きている姿も同様に映る。これも戦争責任の回避から生じた「責任を負わない文化」の反映にしか見えない。この国ならではの特殊文化は、世界の先進国に出れば、まったく通用しない代物であろう。

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