もう一つのイデオロギー

戦後まもなくからかなりの期間、日本で流行ったのが「マルクス=レーニン主義」という名のイデオロギーだった。いまこの主義はブームを失い、日本共産党は今では「科学的社会主義」という名称に変名して、党員・支持者の悪印象を薄めている。歴史修正主義者などがよく「南京虐殺」を「南京事件」などと言い変えて本質を薄めようとする意図と似ている。さて、この10年から15年ほど、この国で台頭したイデオロギーの最たるものが、もう一つのイデオロギーだろう。平たくいえば、日本は素晴らしい、日本人は素晴らしいという内容の自己翼賛型のイデオロギーである。これは「自民族優先主義」ともいわれ、世界のいたるところで見られる現象である。さらに歴史的にたどれば、文明の創出とともに発生したもので、「古代宗教」と名付けた歴史家さえもいる。人間の本質に備わったものから生じる本然的な考え方と捉えればよい。この日本や日本人は素晴らしいとする自己翼賛型イデオロギーは、半面、他の周辺諸国の民族よりも自分たちは優れているという優越的・独善的な「幻想」を伴い、共存共栄の行動の障害となることもおのずと明らかである。このイデオロギーに染まったノンフィクション作家に、門田隆将という人物がいる。彼の作品は多くがこの特殊なそれでいて歴史的にはどこでも見られるイデオロギーに冒されているので、正統なノンフィクション作品としてみた場合、大きく価値を失う。過去の共産主義を翼賛した内容の作品が普遍性をもたないのと同様に、こうした「古代宗教」のバイアスのかかった作品も普遍性を失うことは明らかだ。

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