1995年から30年

1945年から数えて80年、昭和で数えると昭和100年など2025年は“周年”が重なる。ほかに阪神淡路大震災から30年もある。つまり同震災が起きた1995年の出来事はすべて30年の節目となるわけだ。この年、地下鉄サリン事件があったし、オウム真理教が社会を震撼させた事件により、後半国会の宗教法人法改正へと行き着く。この事件と関係のない池田名誉会長の証人喚問が取りざたされ、当時の秋谷会長が実際に参考人招致された。教団ではこの年を口でははっきり言わないまでも「宗教弾圧」の年として記憶する。その流れの中で起きたのが9月1日に発生した東村山女性市議の転落死だ。女性市議が起こした万引き事件が地元で立件寸前の事態となり、慌てた女性がそれを苦にして駅前ビルの上方からためらい落下した。この死亡事件を、市議会会派の仲間であった男性市議が「創価学会に殺された」と便乗商法で利用したものである。売らんかなの週刊誌は多くがそのまま飛びつく形となった(週刊誌はその後の民事裁判ですべて敗訴)。“デマの総合デパート”門田隆将こと門脇護もその中の一人だった。この男性市議と一緒になってデマを発信しつづけたのが「朝木直子」という名の女性市議の娘だ。男性市議と朝木直子は町中で恋人のように腕組みしながら歩くさまを市民に目撃されており、“親密な関係”があるとみなされていた。どこまでもドロドロとした人間関係のもと、1995年の陰謀論は発している。後年、このデマを事実関係も弁えないまま自らの選挙演説で利用し、裁判沙汰になっている市議会議員もいる。お粗末の限りだ。

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