かつては各紙ばらばらに配達されていた在京一般紙がまとめて配達されるようになったのはこの1年くらいのことか。記憶は定かでないが、現在は、読売以外の毎日・東京・朝日・産経・日経の5紙は同時に配達される。新聞社の配達網が独立採算では成り立たない現状を背景にしたもので、いまや1社で配達できるのは読売のみという状況だ(東京都内の一部地点の状況)。将来、新聞を紙で読める日がいつまでつづくかは心配ではある。このままでは産経など、経営が心配されている新聞が発刊できなくなる事態になることはもはや時間の問題と見られている。その事態が一気に来るのか、1紙ずつバラバラに訪れるのかはわからないが、将来にわたって紙で新聞を読むという習慣はなくなるのだろうと予測している。まして最近の若者は紙の一般紙など購読しない。紙による「一覧性機能」に慣れている読者とすれば、ネット上の一般紙ははなから読む気になれない。より本質的な問題は新聞を読まない人間の思考方法は、読む人間とは変わるだろうということだ。職業柄、産経新聞も、朝毎東も読んできたが、必然的に世の中の多様な物の見方や考え方に触れることになる。そのような「多様性」が社会の強みを増すということもいやがおうに感じさせられる。だが片方の主張ばかりに触れていると、それが世界のすべてと錯覚する人間が出てくるのも当然のことだろう。たとえば結婚して姓を変える(統一する)ことを強制する現行日本の制度が、世界の中ではガラパゴスであることを知らない人は多い。日本の守旧派勢力の最後の“悪あがき”がこれから始まるはずだ。